みなさん、こんにちは!
今回は、30歳オーバー、未経験、ITオンチという三重苦を抱えていた僕が、
なぜエンジニアに転職できたのかをご紹介したいと思います。
みなさんの中には、エンジニアを目指しているものの、
同じような状況で不安の方もいらっしゃるかもしれません。
例えば、こんなふうに考えてないでしょうか。
- ITエンジニアなら持ってて当然の特別な資格がないと無理なんじゃないか?
- 他を圧倒するものすごいポートフォリオを用意しないといけないんじゃないか?
- 高額なプログラミングスクールに通わないといけないんじゃないか?
たしかに、そのすべてを満たしていればその時点で現場の即戦力になるでしょうし、
ひとつだけでも当てはまれば、採用担当者の目に留まりやすいかと思います。
考えれば考えるほど壁が高くなっていって、どんどん及び腰になってしまいますよね。

僕も最初はそう思って尻込みしてました(-_-;ウーン
でも、心配することはありません!
なぜなら・・・
いずれにも当てはまらない僕がエンジニア転職できたのですから!
30歳オーバー、未経験、ITオンチに加え、
資格なし、すごいポートフォリオなしの“五重苦”だった僕がどうやってIT業界に潜り込めたのか。
その経緯をご紹介していきたいと思います!
エンジニア転職を志す
独学からスタート


大学卒業後、テレビ局の収録アシスタントやライターといった業種を経験してきた中で、
仕事上の必要を感じてエンジニア的なスキルを身につけようという思考に至ることのなかった僕が、
どうやってエンジニアを志すきっかけを掴んだのか。
それは前回の記事でも触れたように、職場の友人からの何気ないひと言でした。
「紙の時代は終わってウェブの時代が来るから、HTMLくらいできたほうがいいですよ」


彼とはライター時代に知り合い、隣の席だったこともあり、よく話すようになりました。
メディア配信業界出身という背景があり、彼の話す内容はつねに流行を捉えていて、僕は完全に聞き役でした。
当時まだスマホが登場する前で、たしかガラケーでワンセグが受信できるようになるという頃。
携帯電話は電話機能しか使っていなかった僕には、今後どのような技術革新が生まれるのか想像すらできず、
彼が話すITの躍進は僕にとって夢のまた夢でしかなく、話を聞き流していたこともありました。
そんな彼が自分をホームページを持っているとのことで、見せてもらいました。
たしか彼が主催しているライブだかイベントだかの告知や画像を貼ったブログ的なものだったと思います。
でも、自分で一から作ったということで、ふと興味が湧きました。
「それ、どうやって作ったんですか?」
「HTMLとスタイルシートっすよ。ドメイン取って俺だけのページにしてます。CGIも組み込んであって、ページにアクセスがあると自動でカウンターが動いて・・・」
「はぁ・・・」
ちんぷんかんぷんでしたが、何やらすごいことをしていることだけはわかりました。
ただ、ここで特筆したいのが、僕はそっぽを向かず興味をそそられたのです。
「それ、僕にもできますか?」
この時の彼の答えが、冒頭の何気ないひと言でした。
そして、僕はその日の勤務が終わると本屋に直行して、HTMLの入門書を購入したのです。



思い込んだら一途なところは僕の長所だと思っています<(`^´)>
自分のホームページを作る


HTMLの入門書をやり遂げた僕は、すっかりPCスクリーンの向こう側に魅了されてしまいました。
そこから本屋に売っているHTMLとスタイルシートの書籍を片っ端から買い求め、
遊んでいるうちにタグやスタイルシートのプロパティを覚えていったのです。
当時の僕はネットよりもまだ書籍のほうに信頼を寄せていたので、本屋通いが続きました。
ですが、ネットに触れているうち、検索すれば入門記事を探し出せることに気づき、次第にシフト。
一冊2000円前後するIT関連の書籍は、貧乏だった僕にはかなり負担だったので助かったし、
何より、検索すれば欲しい情報が手に入るネットの可能性を身をもって知ることになりました。
そうするうちに、もっといろいろできることがわかってきました。
JavaScriptを使えば、ボタンを押して文字色を変えたり、ポップアップを出したりすることができる。
これは革新的に思えました。これぞ電脳世界を動かせるプロの技だと感じました。
結局ネットの解説だけでは飽き足らず、また本屋に走り、高い参考書を購入していました。
そんな中、例の友人がホームページを持っていたことを思い出しました。
今の僕なら作れる!
ネタと素材はありました。
その前年に僕は、東南アジアを3ヶ月かけて陸路で周遊するバックパッカー旅を敢行していて、
いつか、その時に撮りためた写真を掲載した周遊記を書きたいと思っていたのでテーマはすぐ決まりました。
問題は手段でしたが、割とすんなり解決しました。
サーバーは当時Yahoo!が提供していたジオシティーズという無料サーバーを使うこととし、
ページ構築はホームページビルダーというソフトで行うこととしました。
せっかく勉強したのだから、一からデザイン、コーディングして作り上げるべきかなとも思いましたが、
一度どのような手段でも作ってみて形にすれば自信が湧くと考え、最初はツールに頼ることにしました。
出来上がったのは、素人感満載の旅日記。
デザイントーンはバラバラで、テンプレートにところどころ加えたHTML/CSSもぐちゃぐちゃ。
でも、その充足感は半端ありませんでした。
とりあえず、まずは形にしてみる、という手順を踏んだのは正解でした。
アクセスはそれほどでもなく、コメントもまばら。
それでも、「私も行きたくなった」「印刷して旅に持っていきます」というコメントをもらうと、
見てくれが悪くても情報が有益なら、受け手を幸せにすることができると直観したのです。
※このサイトは、ジオシティーズサービス終了に伴いデータが消えたため、現在は閲覧できません
すると、今度はこんなことを思うようになりました。
ウェブを仕事にしたい!



真っ正直すぎるのも僕の特徴のひとつです(^▽^;)
苦しかったエンジニア転職活動
ライター退職後の空白期間


友人が職場を去って1年ほど経ったのち、僕もライター業を退職。
「ウェブを仕事にする」と誓った以上、すでに次の就職先を決めていたのかというとそうではなく、
その前にどうしても挑戦してみたいことがあり、敢えて転職活動はしていませんでした。
それは、学生時代からの夢だった「小説家になること」。
以前より「公募ガイド」という雑誌に掲載されている懸賞論文に投稿したりしていたのですが、
仕事をしながらではなく、いつかまとまった時間で集中して書いてみたいと思っていました。
そのタイミングが今だ、と。
当時僕は32歳。
この気を逃したら、もうチャンスはないという背水の陣で臨みました。
年末に退職し、年明けから無職のまま執筆活動スタート。
朝から図書館に行って本を読み漁り、夜は帰宅してパソコンに向かって書きまくるという毎日を送りました。
短編から中編、キャッチフレーズ、論考文、ライトノベル、シナリオなど、
公募ガイドや文芸雑誌に載っている懸賞の中でできそうなものを片っ端からトライ。
小説家への道を踏み出すため、一心不乱に書いては応募する日々でした。
しかし、結果は散々でした。
応募すれど、なしのつぶて。
受賞できたのは、おそらく応募者の中から抽選で当たる、カップ麺の詰め合わせくらい。
一度出版社から電話が来て舞い上がりましたが、高額な自費出版を勧める営業電話でガッカリ。
追い討ちをかけたのは、経済状況でした。
春先になってくると、もともと乏しかった預金が底をつき始め、あと2ヶ月もつかどうかという惨状に。
仕事をまったくしておらず収入が皆無だったので当然です。
わかっていたことではありましたが、夢を追うことは断念せざるを得ない状況になりました。
現実に立ち戻って、仕事を見つけなくてはなりません。



いま思えば無謀な挑戦でした。でも、挑戦を行動に移したことは肯定的に捉えています(*゚▽゚)ノ
当てずっぽうの転職活動


いよいよ切羽詰まってきた懐具合に危機感を覚え、藁にもすがる思いでハローワークへ。
希望職種は一番できるライターをメインとしつつ、ウェブ制作のIT企業への就職も忘れていませんでした。
受付をし、担当の方に希望を伝え、求人票を出してもらう段になると戸惑いました。
これまで友人のつてや派遣会社の紹介で仕事を得ていた僕には、自分で選ぶことがとても億劫に思えたのです。
まして、まったく未経験のIT業界への応募ともなると、大きな壁に遮られている感じもしました。
当然、履歴書や職務経歴書の書き方もいい加減で、
ハローワークの職員に添削をお願いしたところ、「これじゃ向こうに何も伝わらないよ」と言われることも。
文章力いかんではなく、採用担当者を説得できる材料が見えてこなかったからでしょう。
(資格は運転免許、英検くらいしか持っていません。現在も・・)
そんな中でも、未経験OKのIT企業を狙い撃ちし、吉報を待ち続けました。
添付したポートフォリオは、唯一の作品である、例の東南アジアのホームページをプリントアウトしたもの。
結果は言うまでもなく、全滅。
そして、ついにその月の家賃を払ったら干上がってしまうところまで来ました。
頼みにしていたライターの求人もかすりもせず、万事休す。
完全に追い詰められました。
しかし、ここに一条の光が。
それはハローワークの担当者の口の端から出た、聞き慣れない単語でした。
失業給付金。
え、すみません。なんですかそれ?
失業給付金とは、労働者の雇用の継続が困難になった際、雇用保険から離職者に支払われる給付金のこと。
https://www.kaonavi.jp/dictionary/shitsugyokyufukin/
恥ずかしながら知りませんでした(雇用保険に入っていたことも)。
さらに聞くと、自己都合退職の場合は3ヶ月の待機があるとのことですが、僕はすでにクリア。
さっそく派遣会社に連絡して必要書類を郵送してもらい、ハローワークに申請に赴いたのでした。



首の皮一枚、つながりましたε-(´∀`*)ホッ
職業訓練でウェブ制作を学ぶ


なんとか失業給付金で食いつなげたものの、給付期間の3ヶ月はたちまち過ぎていきました。
この間、何もしていなかったわけではなく、転職活動を継続していました。
ですが、未経験、30歳オーバー、しょぼいポートフォリオでは厳しく、梨のつぶてのままでした。
この時点で頼れるのはハローワークしかなかったので職員に相談してみると、
公共職業訓練(以下、職業訓練)なるものを紹介されました。
職業訓練とは、失業保険を受給している離職者が受けられる専門学校的なもので、
事務系、情報系などのコースがあり、しかも期間中は失業給付が延長されるとのこと。
ウェブ制作のコースもあり、スキルもお金もない僕が受けない理由はありませんでした。
なんと、次の締め切りが数日後という奇跡も重なり、僕はその場でウェブ制作のコースに応募。
やけに神妙な雰囲気だった面接を経て、合格。
東京・東中野の学校に4ヶ月通うこととなりました。



一歩踏み外せば奈落の底という綱渡り状態の中、何とか繋ぎ止めましたε=( ̄o ̄;A)フゥ
ウェブ制作会社出向の講師を前に、30人ほどの受講生が受けるスタイルで授業がスタート。
それぞれの席にデスクトップPCが与えられ、ハンドメイドのテキストで授業は進みました。
やったのは、HTML/CSS/JavaScript/PhotoShop/illustrator/Flash。
実際に現場で活躍している人が講師なので、授業内容は思った以上にハイレベルかつ実践的。
それまで独学のみで、一から教わったことのなかった僕にはまさに目から鱗でした。
正直、初めは給付金目当てだったものの、
授業内容は有意義だったので、コースを終える頃には転職イケそうだという手応えを得ていました。
そんな中・・・
2ヶ月くらいして、いまでもはっきり覚えている印象的な出来事がありました。
30歳限界説


授業とは別枠で、現役のエンジニア数人が、現場のリアルな状況を講演する場がありました。
現場の一線で活躍している人たちの生の声を聞けるとあり、僕を含めた受講生たちは熱心に聞き入っていました。
そんな中、締めの頃合いになると、リーダー格の男性がこのようなことを言ったのです。
「これから業界に入ろうとするみなさん、30歳限界説を忘れないでください」
一言一句覚えているわけではありませんが、意味合いはこんな感じでした。
その「30歳限界説」の定義を完全に把握していたわけではありませんが、
年齢的に最先端の技術を追い求めるに30歳以上だと老兵扱いされるということなんでしょう。
で、30歳を超えてIT業界を志すのは見当違いなんだと。



あれ、30歳・・? 限界・・・?
その時、僕は32か33でした。
ということは、僕はもう手遅れってこと?
このまま夢を追わずフェードアウトしたほうがいいってこと?
プロアスリートの世界でも現役で活躍できる年齢は限られているので話はわかります。
でも、そういう定説を乗り越えて超ベテランの年齢でも大活躍している選手はいくらでもいるじゃないですか。
逆に、大型ルーキーとして将来を嘱望されるも、鳴かず飛ばずで去る選手も。
カチンと来ましたが、返す言葉がありませんでした。
現場の人が言った以上、「30歳限界説」は現実的に真理なんだと思います。
30歳を超えると若い人に比べてパフォーマンスが劣ったり、
雇用したところで環境についていけずすぐにドロップアウトする人を嫌というほど見てきたのでしょう。
それほど廃り流行りの激しい業界なんだと。
会場はしーんとしていました。
30歳を超えた受講生は僕に他にもいたので、ショックだったはずです。
IT業界への転職を思いとどまった人もいたんじゃないでしょうか。
それだけに、何もこの場でそんな空気読まないこと言わなくてもと思いましたが、
同時に、僕自身がIT業界に甘い幻想を抱いていたことにも思い至りました。
考え直さないといけないかと一瞬思いましたが、もう止まることはできません。
ここまで努力してきた以上、諦めるなんてできません。
年齢を覆すだけの向上心があればなんとかなるという楽観思考で行くことにしました。
ついにエンジニア転職成功


職業訓練の3ヶ月間、インターン1ヶ月が終了し、再び僕は転職市場に放り込まれました。
インターンで作ったサイトを武器に、少しはマシになったポートフォリオで勝負。
(作ったサイトは、受け入れ先企業と取引のあった歌手のデモサイト。現存せず)
この頃には求人票を見る目も肥えてきていて、
いかにも事業内容がテンプレ、またはコピペっぽい会社はヤバいという肌感覚が養われていました。
でも、その時の僕に選択できる余裕はありませんでした。
「とりあえず潜り込んでからじゃないと始まらない」
きっと楽観的すぎて危険な考え方だったと思います。
しかし、選り好みをしていたらどんどん年を重ねていって不利になっていくだけ。
ハローワークをはじめ、リクナビ、エン転職などの媒体を通じて、
少しでも引っかかりそうな会社を見つけたら応募する毎日。
都合7ヶ月間の失業給付で少し蓄えはできましたが、無職に戻ったのですぐにでも見つけないともう完全に詰む。
不安しかありませんでしたが、何とかなるのではという根拠のない直感もありました。
そして、職業訓練が終了して半月後、念願のエンジニア転職を勝ち取りました。
ハローワークを通じて面接し採用。職業訓練のインターン中に作ったサイトが目を引いたようです。
広告代理店という営業主体の会社でしたが、担当するのは自社ポータルサイトの保守。
実際のところエンジニアになったと言えるほどの業務内容ではありませんでしたが、大きすぎる前進でした。



諦めなくて良かったと本当に思っています(´;ω;`)
まとめ:エンジニアに老若なし
ここまでが、僕が辿ったエンジニア転職への道。
遠回りだったのか、それとも実はスムーズなほうだったのかわかりませんが、
努力と熱意しかない30歳超えロートルが、転職を勝ち得たことは紛れもない事実です。



30歳オーバー、未経験、ITオンチでも、やればできるんです٩(๑^o^๑)۶
そんな僕が転職活動中に感じたことが、ひとつあります。
それは・・・
年齢は関係ないということ。
30歳限界説は傾向的に言えることであり、すべての30歳以上の求職者に当てはまることではありません。
とは言え、業界的な通念というのは根強いものがあるので、自分はできることを証明する必要があります。
どう証明するかは難しいのですが、少なくとも考えられることとして以下が挙がると思います。
- ポートフォリオをブラッシュアップする
- Githubを添付する
- 履歴書の自己紹介欄で短所も含めて自分を知ってもらう
- 面接後には必ずお礼状を書く
それで間違ってはいないはずですが、企業が知りたいのはこれです。
新技術に対する学習を怠らず、業務に還元することで利益をもたらしてくれるか。
これができることを伝えることができれば、企業としては採用に前向きになるでしょう。
だから、若いから有利とは限らないのです。
初心者、駆け出しのエンジニアのスキルはほぼ横一線だと思うので、
目を引くポートフォリオや説得力のある経歴書があれば有利に働くのは言うまでもありません。
それがなくとも、以下を明確に答えられるほうが大事なのではないかと思います。
- いまの自分はこうだけど将来的にこうなりたいプランがある
- いまの自分はこれができないけど改善していけるビジョンがある
- いまの自分はこれがわからないけど解決するためのアクションを起こせる
IT業界における「コミュニケーション能力」とはこのことだと感じています。
(企業によっては、無駄話をすることがコミュニケーションとしているところもあります・・)
いまはスキルが追いついていなくても、キャッチアップする姿勢を忘れず、それを実践していければいいんです。
それを伝えられるコミュニケーション能力を意識してください。
やや精神論に傾斜してしまいましたが、
もしあなたが未経験で30歳超えててちょっと若くないなと思ったら、
スキルを磨くと同時に上記を意識することでプラスアルファの付加価値を意識してみてほしいです。



大丈夫!あなたならきっとうまくできる(๑•̀o•́๑)۶


