みなさん、初めまして!
牧村蓋世(まきむらがいせい)と申します。
僕は、主にWebサイトのフロントエンド周りを手がけているフリーランスエンジニアです。
IT業界にはかれこれ10年以上身を置いているので、年数だけ見ればベテランの域ですね。
それゆえ、みなさんは私に対して、
数々の修羅場をハイスペックスキルで駆け抜けてきた歴戦の猛者だと思ってしまうかもしれません。
何しろ、業界経験10年越えの大先達なのですから・・!
そんなわけで、このサイトにこんなイメージを持ってしまうのではないかと危惧しています。
- 牧村は、初心者に上から目線で、説教臭く訓示を垂れて自己満に耽るつもりなんじゃないか?
- 牧村は、これからエンジニアを目指す初心者に対して、夢を見ることの甘さを冷笑的に突きつけるつもりなんじゃないか?
- 牧村は、初心者を徹底的に見下して悦に浸るつもりなんじゃないか?

いえいえ、そんなつもりはありません!!!
なぜなら・・・僕は・・・
いつまでたっても中級レベルにさえ到達することのできない
「万年初心者エンジニア」なのです!!
どれだけ初心者レベルなのかというと・・・
JSの巻き上げについて説明してください
HTMLのsectionタグとarticleタグの使い分けについて教えてください
パフォーマンスチューニングについてご意見をお聞かせください
(;゚д゚)ェ…
ってなっちゃうレベルです。
実際面接で聞かれたんですが、「経験年数の割にスキルは低い」というご評価をいただいております。
そんな僕でもこの流行り廃りの激しいIT業界を泳ぎわたってこれた経歴やノウハウをお伝えすることで、
これからエンジニアを目指す初心者のみなさんの後押しができればと思っています!!!
・・・そんなわけで、今回は第1回ということで、
これまで僕が辿ってきたエンジニアとしての軌跡をご紹介したいと思います!
エンジニアになる前
大学卒業後の迷走


僕は文系の私立大学を卒業後、
テレビ局の制作アシスタントのアルバイトとして社会人スタートしました。
これを言うと完全に年齢がバレますが、僕の大学時代はバブル崩壊後の就職氷河期真っ只中。
大学の名前を言えば内定がもらえた時期は去り、求人の数も軒並み減少していました。
社会の空気に情緒的に流されやすい僕は、まさに流されるまま就職活動に身を入れることなく、
進路先を決めることなく大学を卒業したのです。
卒業後になんとか友人のツテでテレビ局の職を得て1年間ほど勤務しましたが、
その体育会系的な業務内容が最後まで肌に合わず退職。



この頃は本当に何をしたらいいのか、自分に何が向いているのか手がかりすら掴めない時期でした( ̄口 ̄∥)
その後、運送会社のバイト、カスタマーサービスの派遣などを経て、
ひょんなことからライターの職にありつくこととなりました。
ライターに転職


もともと本を読むことが好きで何かしらの執筆業に携わりたかった僕は、
派遣会社に文章を書く仕事を紹介してほしいと猛烈にアピールしていました。
担当者からは「実務のご経験がありませんので・・」と遠回しにお断りされていたのですが、
たまたまライター枠の空きができ、他に適合者がいなかったという幸運も重なり晴れてライターに。
その後、大手新聞社配下の編集プロダクションで新聞記事、
人材会社で求人サイトの記事を書く仕事を経験しました。
ライター業務に携わっていたのは5年ほどでしたが、
一貫して教えられたことは「読者にアピールできる平易な文章を書くこと」。
これ、簡単なようで実はすごく難しくて、
老若男女問わず誰にでも訴えかけ、かつ専門用語をできるだけ使わないで書くには、
当然のことながら、書く対象のことを十分に理解していなければいけません。
資料の読み込みからスタートし、その先の読者を考えながら文章を書く。
初めは試行錯誤の連続で苦心しましたが、この経験は後のキャリアに活きることとなったのです。



ライターになれて、夢は思いがけないところから叶うんだと感じました٩(๑>∀<๑)۶
そんな中、転機が訪れました。
エンジニアへの道を踏み出す
まずはデザイナーとして


IT業界に転身するきっかけとなったのは、ライター時代にできた友人の何気ないひと言でした。
「紙の時代は終わってウェブの時代が来るから、HTMLくらいできたほうがいいですよ」
ここで言う「紙」とは新聞や本、雑誌といった紙印刷媒体のこと。
当時は2010年代初頭、企業の広告出稿費はインターネットが年々増加する一方、紙媒体は軒並み減少している最中でした。
有名雑誌の休刊、廃刊のニュースも耳にするなど、僕もその潮流を肌で感じていました。
それまで僕のIT事情は、自宅に繋いだADSLで、Windows PC(OSなんだったっけ?)を通して、
Yahoo messangerしたり旅のブログを閲覧する程度のライトユーザー。
ウェブサイトの作り方はおろか、WordやExcelもろくに操作できない、いわゆるITオンチだったのです。
そんな僕でしたが、友人が言ってた“HTML”が気になって本屋へ。
たしか2000円くらいで売っていた入門書(黄色い装丁だった記憶)を購入し、
さっそく手を動かしてみることにしました。
その結果・・・
面白い!!!
HTMLとCSS(当時はスタイルシート)を使って簡単なサイトを作るだけだったのですが、
メモ帳に書いたコードがブラウザに反映されて形になるだけで面白くてたまりませんでした。
すっかり虜になってしまい、文字色やフォントを変えるたびにニヤニヤしてひとり悦に入っていたものです。
その後、JavaScriptはじめ、C言語やVisual Basicなどのプログラム言語にも片足を突っ込み、
さすがに敷居が高く挫折の日々を味わいましたが、それすらも醍醐味とばかりのめり込んでいきました。
時代が紙からウェブへと移行していった理由がわかったような気がしました。
そんな折、ライターを辞めてウェブ業界への転身を心に決めました。
時代の流れもそうなのですが、僕自身の関心が完全にウェブに移っていたからでした。
紆余曲折あり、とある広告代理店に拾ってもらう形でウェブサイト制作業の仕事を獲得。
(この経緯については、別の記事にしようと思います)
まずはデザイナーとして、簡単なコンテンツの修正やバナー作成からスタートする運びとなったのです。
30代前半の僕に起きた、大きな人生の転換でした。



新しい分野に挑戦するきっかけは、自分以外の誰かからもたらされるんだと実感しました(´⌒`;)
初めての商用ウェブサイト担当


その広告代理店での業務はたしかにサイト制作ではあったものの、
実際は入稿システムからバナー(もらい物)を登録することがメインで、
HTML/CSSの業務といえばDream Weaverを使って文字色の変更やテーブルを組んで画像をベタ貼りする程度でした。
初めのうちはそれでよかったのです。右も左もわからなかったので。
しかし、1年過ぎ、2年過ぎ、3年過ぎると、さすがに危機感に苛まれるようになってきました。
開発のメンバーは他に数人いましたが、彼らは特に意見もなく日常の作業を黙々とこなしているだけ。
このまま同じことを繰り返していると、日進月歩のウェブ業界の中で取り残されてしまう!!!
居ても立っても居られず、ついに僕は社長に直談判。
その会合の中で、社長が新規サイトの立ち上げ構想があることを知り、自分にやらせてほしいとお願いしました。
社長は快諾してくれ、僕は次の日から新規サイトの制作を一人で担当することとなったのです。
(この事業は会社の利益になる可能性が低かったのですが、やらせてくれた社長には本当に感謝しています)
使った技術は、HTML/CSS/JavaScript(jQuery)/PHP/MySql/PhotoShop/illustrator。
WordPressのサイトでしたが、標準機能以外のコンテンツが盛り沢山だったので苦難の連続でした。
入門書終えたレベルではほぼほぼ歯が立たず、
この時初めて、写経一筋だった僕の実力は実務レベルから程遠かったことを思い知りました。
それでも、深夜に及ぶ激闘、英語Q&Aサイトとの格闘、聞ける人のいない孤軍奮闘の中、なんとか完成。
今で言うブラックな状況で相当疲弊しましたが、何とも言えない達成感があったのは事実です。
その後、この会社は退職しましたが、初めて一人でサイト制作を担って多くの学びがありました。
- その時に技術や知識がなくても調べればヒントは見つかる
- それでも難しい場合は、納得のいく代替案を出して妥協点を探ればいい(完璧にする必要はない)
- デザイン、コーディング、プログラミングすべて一人でやり切ったことで成長を実感
- サイトを見た人から肯定的なフィードバックがあると半端なく嬉しい
- 逆に否定的な意見は一瞬落ち込むが、新たなアイデアを生む下地に変えられる
- サイト制作は保守より、一から立ち上げのほうが断然面白い
同時に課題も。
- 一人だけで制作したので、悪く言えば自分勝手なサイトになってしまった
- 自分だけがわかるソースコードになってしまい、可読性は最悪と言っていいレベルだった
- 共同開発者がいなかったので、gitなどのバージョン管理ツールを使わなかった
- バックエンド側は付け焼き刃のコピペ実装だったので、後で見てよくわからない記述になってしまった
- やり遂げたことで慢心してしまい、リファクタリングや新技術の習得に対する意欲が薄れてしまった
- 作るには作ったが、サイトスピード、レスポンス、SEO対策などがおざなりのままだった
30歳を超えて挑戦したIT業界。
未経験かつ若くないこともあり不安だらけの船出でしたが、結果として飛び込んで正解でした。
やればできるという自信がつき、もっとレベルの高い環境に身を置きたくなったことは、
確実に自らが人間的にも社会的にもステップアップしている証拠でしょう。



もやもやした時期が続きましたが、状況を変えられたことで次へのステップにつながりました( ^∀^)
次に僕が選んだのは、受託開発系の制作会社でした。
そしてエンジニアへ
ここからはエピソードが盛り沢山なので、やや駆け足で僕の経歴を紹介します。
いずれ記事にしますので、その際は改めて周知いたします🙇♂️
マルチプレイヤーを目指す


今度の受託開発企業は、かなりふわふわした感じの会社でした。
もともと人材派遣会社なのですがウェブ開発が隆盛なこともあり、新規事業部を立ち上げ受託開発市場に参入。
とりあえず時代の波に乗ろうと、開発経験のある人材を20人くらい採用したとのこと。
あまり深く考えないで見切り発車した節があり、立ち上げの中核メンバーは数人いたものの、
ノウハウはほぼ皆無で指示系統も杜撰そのもので、僕を含めた20人の新人は初日から戸惑ってばかりでした。
そんな状況だったので、炎上する案件も少なくなかったです。
扱っていた案件はWebサイト制作からアプリ開発、システム開発と幅広く、
フロント、バックエンド、デザインができる僕は割といろいろなプロジェクトと関わりましたが、
コーポートサイトやWordPressの案件が多く入ってきたため、次第にそちらにシフトしていきました。
開発は基本僕一人で回していたのですが、新卒が入ってくると僕と一緒に仕事をすることになりました。
そうなると、誰かがチームのマネジメントをする必要が出てくるので、必然的に僕が受け持つことに。
つまり、ディレクションとプロジェクトマネジャーを兼ねる存在となったのです。
取引先とのやり取り、新卒のタスク割り振りと進捗管理、サポートに加え、開発も行なっていたため大変でした。
しかし、同時にやりがいを感じていたことも事実です。
新卒も懐いてくれ、取引先からも信頼を得ていました(聞いた話では僕の名前を出すだけで稟議が通ったとか)。
1年ちょっと在籍した後その会社は辞めましたが、
自分には向いていないと思っていたディレクションやマネジメントも経験できたことは大きな収穫でした。



確実に成長していましたが、この頃から天狗になりつつありました(◞‸◟)
ゲーム開発で挫折


その後、短いスパンで企業を転々とし、3社続けてゲーム開発に携わりました。
3社とも誰もが社名やゲームタイトルを知っている大手企業で、
1社目はその中でも超大手、ビッグタイトル、そして仕事内容も超ヘビーでした。
僕がなぜこの会社と縁を結べたのか今でも不明なのですが、
転職エージェントに勧められるがまま応募し、面接を受け、その場で通ってしまったのですから人生わかりません。
超巨大なビルに広大なフロア、1000人はいる環境に最初は面食らったものです。
僕が配属されたプロジェクトは、登録者数うなぎ上りの超人気スマホゲーム。
まったくスマホゲームに触れてこなかったため知らないゲームでした。
そのフロントエンドを担当することになったのですが、最初のタスクをアサインされた時から焦りました。
JavaScriptで構築するのですが、僕の知ってるJavaScriptと違う・・・。
jQueryもバンドルされていますが、僕の知ってるjQueryと違う・・・。
僕が知ってるのは、DOMを取得してフェードインさせたり、ボタンを押したらポップアップが出現するもの。
そこでのJavaScriptは多数のファイルが絡み合うシステマチックなものでした。
これまで局所的に一部のDOM操作にだけ、ぶつ切り的に書いてきたJavaScriptの概念が一気に崩れました。
加えて、gitって何だ??
入社して2ヶ月ほどはこれまでと一変した開発環境をキャッチアップするのに神経をすり減らしました。
それと同時に、これまで自分はできるんだと慢心し、いかに天狗になっていたかを悟りました。
さらには、これまでハイレベルな技術に触れてこなかったことを嫌というほど思い知らされたのです。
これまでやってきたことがまったく通用しないことに打ちのめされ、敗北感を味わう毎日でした。
それでも、プロジェクトで使われているJavaScriptの理解が進み、gitも覚えてくるようになると、
周りの足を引っ張りながらもタスクをこなしていけるようになってきました。
携わっているゲームに愛着が持てるようになり、誇りに思えるようにもなりました。
しかし、安定したと思いきや、積み重ねられるタスクの重さに負け、ついに退職。
最終的には心身ともに変調を来すようになり、限界を迎える前に辞めざるを得ない状況でした。
ここまでサンドバッグ状態に晒されたのは初めてで、しばらく立ち直る気力が持てませんでした・・。





本当に辛かった( ; ; ) 天狗の鼻をへし折られました。゚(゚´Д`゚)゚。今思えばいい経験。
他の2社は1社目に劣らず有名タイトルを運営している会社でしたが、
ゲーム開発ではなくコーポレートサイトやLP、ゲーム内お知らせなどを担当したので比較的負担は重くありませんでした。
40歳を間近に控え「不惑」を迎えるどころか、困惑してばかりの不安定な時期でした。
フリーランスに転身


その後、僕はフリーランスへと転身し、現在に至ります。
フリーランスになった理由はいくつかありますが、やはり独立したいという気持ちが強かったからです。
案件はエージェントに紹介してもらっており、稼働は安定していると思っています。
業務内容はこれまでと変わらずウェブサイト、ウェブアプリ開発なのですが、
現場を変わるたびに感じるのが、現場によって使っている技術が異なるということ。
Vue.js、CakePHP、Ruby on Rails…
これまでHTML/CSS/JavaScriptでやってこれたのが、モダンなフレームワークが習得必須になっていたのです。
キャッチアップしてこなかったわけではないですが、自分の認識がいかに古かったことを実感しています。
フロントエンドの求人広告を見れば一目瞭然、React/Next/Vue/Nuxt/TypeScriptなどがずらり。
なので、現場に入るたびに新しい技術を一から学び直す必要性があり、僕もそうです。
会社によって環境が異なるのはIT業界に限りませんが、つねに学ぶ姿勢が大前提であることは忘れてはなりません。



謙虚であることが成功する最大の要因だと思います٩(๑❛ᴗ❛๑)۶
僕が万年初心者エンジニアである理由。
それは、あちこち立ち回るためのスキルを追い続けるため、器用貧乏になっていたからなのかもしれません。
どこかで方針転換しない限り、今後も初心者の壁を越えられないエンジニアであり続けることでしょう。
(いまだに、JSの巻き上げ、うまく説明できません・・)
まとめ:エンジニアになってみて
ここまで僕自身のエンジニアとしての経歴を紹介してきました。
WordもExcelもできなかった僕がこんなに長くITの世界に身を置くとは思っていませんでしたが、
業界が下火にならない限り、今後もエンジニアとして生き続けるんだろうと感じています。
そこで、エンジニア人生を振り返って、これだけは言えるということをお伝えしようと思います。
- 年齢は関係ない
- 自分が書いたコードが動いて楽しいと思ったら素質十分
- 案件はいくらでもある
- 忍耐の時期が必要
- 少しの情報収集能力さえあれば技術習得は可能
- アピールして売り込む度胸が時には必要
- いきなりフルスタックを目指すより絞ったほうがいい
これからエンジニアを目指していて行き詰まっている方、どうか諦めないでほしいです。
挫折や悩みはついて回りますが、このサイトが何らかの一助になれるよう僕も頑張ろうと思っています。



みなさん、諦めないでください*\(^o^)/*
今後も記事を投稿していきますのでよろしくお願いいたします。


